ごはんは美味しい。特に炊き立てのご飯には、おかずなど不要だ。むしろおかずの味が邪魔になる。味噌汁に、いくらかの香の物があれば十分だ。それだけでは少し寂しいと思えば魚の干物でも炙って食卓に乗せれば良い。塩鮭の切り身でもアジの干物でもイワシの丸干しでもあればこれはもう、最高のメシだ。むろん私は農林水産省の回し者ではない。恐らく私を形作っているDNAによるものだ。因みに、DNAを軽く見るみる人達がいる。「人は努力でどうにでもなる」と、思っている人達だ。これについてはまた稿を改めて書いてみたいと思っているが、そのような「自助努力主義者」には理解できないかもしれない。しかし、嫌いな食べ物を克服するのが、そうたやすい事でないことは誰でも知っているはずだ。それこそがDNAの成せるワザなのである。
そんなDNAなのだが、日本人のDNAはどのように成り立っているのかに興味があった。
炭水化物好きな遺伝子
何となく自分のDNAは縄文人がルーツだろう。そのように思っていた。現代の研究では縄文人と弥生人が混ざり合って今の日本人を形成していると言われている。最近ではここに、古墳人も加わり、3種類のDNAにより日本人は形成されているようだとの研究もある。
しかしだ。私が知りたいのは「なぜ自分は米が好きなのか!」だ。それは縄文、弥生時代に形成されたのに違いない。稲作は弥生時代に広がったと言われている。であれば紀元前の話しである。稲自体は縄文の頃から渡来していたらしいが、水田が作られ大々的に稲作が始まったのが弥生時代だ。この時代の水田跡の遺跡が鳥取県で発見されているが、規模が少し小さい以外は今と変わらない水田である。私はこの時代から、日本の大炭水化物時代が始まったのだと思っていた。弥生時代は米だけでなく小麦の栽培も行われていて、盛んに食べられていたらしい。小麦の重湯だったり、クッキーのようなものも作られていたという。
なるほど。家人がパンを好むのは、この遺伝子であるまいか。私は家人と連れだってコストコに行くことがある。パンやドーナツ、クッキー、ケーキが並ぶコーナーに入るとわが女房殿の眼が輝き始める。買うものはいつも大抵決まっているのだが、とりあえず一通り眺めるのが通例である。新商品などの情報を収集しているのであろう。もちろん時折は、そんな新商品がカートに入るのである。実のところ、私などは何が楽しいのか解らない。そのくらい、お米派なのである。しかし、考えてみるとスーパーに並ぶブランド米を眺めては、「青天の霹靂とはどんな味なのだろう?」とか「ゆめぴりかは美味かったなあ。」なんて考えている。それと同じように女房も、コストコにならんだパンを眺めているのだろう。どちらにしても炭水化物に目がないのだ。
縄文人も炭水化物好きなのだ
日本人が本格的に炭水化物を摂取し始めたのは、弥生時代からだと思っていたのだが、実は縄文人もかなり炭水化物を取っていたらしい。何故、そんなことが解るのか。それは「化石」からである。化石と聞いて思い浮かぶのは「骨」の化石だが、その他の部分も化石として残っている。その中の一つが彼らの「糞」だ。「糞石」というらしい。この化石を分析することで、食べているものが推定できる。科学の進歩とは誠に素晴らしいものである。ここで、ある研究成果を見てみよう。帯広畜産大学の中野益男教授の研究である。彼は各地の遺跡から出土する糞石をもとに、主に摂取した食品類をまとめ、摂取栄養素をわりだしたのだ。彼の調べによると、縄文人の栄養バランスは驚くほど健康的だというのである。総カロリー、タンパク質、脂質、食塩、ともに、現代人よりも優れた栄養バランスの食生活を送っていたことが解ったのだ。特に、現代人に不足しがちなカルシウム、リン、鉄、ミネラル、ビタミンA・B1・B2などはとても豊富に摂っていたらしい。さらに、彼らが炭水化物を積極的に摂っていた証拠は他にもある。それは虫歯だ。
縄文人と虫歯
縄文時代の虫歯率は8.2%であったという報告がある。ちなみにその後の弥生時代では、16〜19%ほどで縄文時代の2倍に増えている。弥生時代になって米(糖質)を多く食べるようになって虫歯が増えたのだ。これだけ見ると縄文時代には虫歯が少なかったように感じられるが、実はそうでもないらしく、例えば7000〜3000年前のアメリカ先住民においては0.4〜2.4%、現代のイヌイットでは約2%と同じ狩猟民族なのにもかかわらず、縄文人はダントツに虫歯率が高いことがわかる。
この違いは何か。原因として、アメリカ先住民やイヌイットの人達が住むところは、寒冷な気候条件のために植物が育たず、肉や魚を主に食べていた。これに対し、縄文時代の人々はクリやクルミなどの糖質を多く含む木の実などの植物を多く食べていたことが、その違いを生み出したと考えられている。縄文人は木の実の採集も子なっていたが、どうも栗の木の栽培も行っていたらしく、それらの木の実と獣の地などを捏ねて作った「縄文クッキー」なるものもあったらしい。流石、縄文土器に始まり、様々な文化を形成していた縄文人である。炭水化物も文化になったのである。その後の弥生時代になると、本格的な稲作が始まる。以降、我々はお米のお世話になっているのだ。因みに、1943年に静岡県で発見された登呂遺跡の弥生水田は、矢板や杭で補強した畦(あぜ)できちんと区分され、用水路や堰(せき)も整備されていたらしい。約7万㎡の田んぼというから、凄いものである。さぞかし人口も増えたに違いない。
食肉禁止の1200年間
日本では食肉を禁じられた期間があった。天武4年(675年)、天武天皇によって「殺生禁断令」が出され、牛、馬、犬、鶏、猿の肉を食べることが禁じられたのだ。これは、農耕や運搬につかわれている動物を食べることを戒めたということでもあったようで、その後もたびたび「殺生禁断令」が発せられたらしい。これは明治天皇の時代まで続いたらしい。
あれ?まてよ?落語に「二番煎じ」というネタがあるのだが、その中にボタン鍋を突くシーンが登場する。ボタンといえばイノシシである。ああ、そうか。みんな隠れて食べてたのね。まあ、そうであろう。食文化を政策で禁止しても無意味なのだ。まあ、しかし、一定の効果はあったであろう。因みに鶏肉もあまり食べなかったようである。そのような時代ではタンパク源は魚、大豆、が中心であったはずだ。こうやって見ていくと、一口に和食というものの、随分と長い時間をかけて今に至るのが良くわかる。そして、その和食の主役は肉ではないのだ。米と野菜と魚なのだ。
現代人の悩み
第二次大戦を境に日本の食料事情は大幅に変わった。人々の生活も豊かになり、食卓も豪華になった。かつては貧しくて一汁一菜が辺り前の時代から、一汁三菜になり、肉のおかずが増え、油脂をたっぷり使った食事も増えた。そういった食事の変化と医療の進歩によって日本人の平均寿命を大幅に増えたのだ。これは誠に好ましいことだと思うし、そのことに何の異論もないのだけど、現代人には嘗ては、なかった別の悩みが増えたのだ。それは肥満である。いわゆる生活習慣病の原因となるものだ。ほかにも現代人の悩みはあるだろうが、こと肥満に関しては、気にしない人のほうが少ないくらいだろう。私もダイエットの事を勉強して、自身でもダイエットを続けているけれど、時折、変なことをいう人が出てくる。しかも厄介なのはこれらの発言をする人たちが、大抵、世間的にみれば権威のある職業の人達なのだ。より具体的に言えば医者だ。これは性質が悪い。お医者さんの言うことだから、と信じてしまう人もいるはずだ。まことに罪深いと思う。
日本人は縄文の昔より炭水化物とともに生きてきた。そして、かなり長い期間、獣肉をそれほど食べなかったのだ。それは事実である。そのような生活をしてきた民族が、この70年で、急に欧米の食事を摂ったらバランスが崩れないほうがおかしい。日本人の食生活は縄文時代から見たら、実に1万年にわたる期間を経ているのだ。好むと好まざるとにかかわらず、私達のDNAは日本固有のDNAなのだ。そんなことを、頭の片隅にでも置いて、なるべく和食を中心にして、健康的な食生活を送りたいものである。
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