安倍元首相、暗殺される。

政治・経済

安倍元首相が暗殺された。第一報を知ったのは、何かのYouTube番組からであった。正直、最初は嘘だと思った。何かの冗談かと思った。しかしそれは冗談ではなく事実だった。報道によれば奈良の近鉄大和西大寺駅前で選挙演説中だった。参議院選挙に立候補した佐藤敬氏の応援演説中に起こった惨劇であった。当初の報道では散弾銃が使われたとあったが、ショットガンという説もあり、どんな状況なのか、誰がやったのかと思いを巡らせて、何も手が付かなかった。正直、参った。別に面識があったわけでも何でもない。しかし、第二次安倍政権での氏の活躍は目を見張るものがあった。テレビ報道だけしか聞いていない人やリベラルのバイアスが掛かった人は正当に評価できないだろうが、彼の残した功績が偉大であった事は事実である。

どんな功績があるのだという人もいるでしょう。そんな人に少しだけお話をしてみようと思います。

安倍政権の功績

失われた30年という言葉を聞いたことがあると思います。バブル崩壊以降のデフレに陥った日本を表現した言葉です。当時を振り返ると実はバブル崩壊の影響が出るまで少しのタイムラグがありました。バブル崩壊後、数年間は、一般の人々は、それほどの影響を感じませんでした。当時、私は親が経営していた零細企業で働いていました。製造業でしたが、厳しいながらも何とかやっていました。しかし、数年が経ち、その間どんどんと受注が減少し、猛烈なコストダウンがやって来ました。その後、リーマンショックがあり、世間は自民党を猛烈に批判していました。麻生政権が誕生し、わずか1年程でしたが、逆風は収まらず、ついには民主党政権が誕生したのです。当時を振り返って見ますと、世間は「自民党にお灸をすえる」という空気が蔓延していたのが思い出されます。後年、安倍元首相は「悪夢の民主党政権」と評価していましたが、全くその通りだと私も思います。国民は自民党にお灸をすえるつもりだったのに、お灸をすえられたのは、当の国民自身だったのです。

思えばヒドイ時代だった

受注はほとんど無くなった工場は、最終的には廃業となりましたが、その直前に行われた選挙で民主党が勝ったとき、「ああ、これで本当に工場はダメだな」と思ったものです。その後の民主党政権は皆さんのご存知の通りです。彼らの国民に対する公約は悉く反故にされ、埋蔵金もなく、日米関係も戦後最悪になり、役人をしっかりと管理し自分たちの政策に沿って働いてもらうといっていたのが、最終的には役人の言うがままの政権に成り果てました。まさに、役人天国です。さらに不運は続き、東北の大震災に見舞われました。菅直人氏が首相の時です。この時の対応も最悪でした。彼が首相でなければ、これだけ被害が拡大することもなかったと言われています。確かに、「菅首相の対応は良かった。彼がいなければ被害はもっと拡大していた。」なんて言葉は聞いたことがありません。まあ、酷い政権であったのは間違いないでしょう。しかし、自民党政権だって、それほど、褒められたものではなかったのも事実です。とくに経済政策は財務省の言いなりで、緊縮財政一本やりであったのも確かです。平成13年から始まった小泉政権で行われた金融緩和政策は一定の効果をもたらしましたが、蛇口の栓はすぐに閉められてしまい、デフレの脱却まで到達しませんでした。言ってみればデフレの原因となるバブル崩壊を引き起こしたのも自民党政権であり、その後のデフレを長引かせたのも自民党政権でした。そして、最後のトドメを指したのが民主党政権なのです。いずれも官僚、特に財務省の言いなりになった政治家の不勉強と理念のなさが招いた結果なのだと思います。まぁ、民主党に票を投じた多くの人たちも、「軽い気持ちで一票を入れるとえらい事になるのだ。」という事は覚えていたほうがいいでしょう。反省したほうがいいかもしれません(笑)。もっとも、先の参議院選挙の結果を見ると立憲民主党の不人気ぶりが目立ちました。国民も学ぶのです。政治家の先生たちも国民をバカにしてはいけません。

さて、その後、第二次安倍政権が誕生しました。今になって明かされた話ですが、安倍氏は第一次政権を退いたのち、すごく勉強されたそうです。勿論、様々な勉強をされたでしょうが、特に財政政策、マクロ経済学は非常に勉強されたようです。聞くところによると、マクロ経済学はかなり難しい学問らしく、何度説明しても解らない人は全く理解できないようです。特に日本の経済学は世界標準からすると、相当変な学者もいるようです。未だにマルクス経済を教えている大学や教授がいる程なので、さもありなんというところでしょう。

そんな日本に於いて、特に安倍氏は国会議員の中でも、誰よりもマクロ経済学を理解している政治家と評されています。第二次安倍政権で彼が真っ先に打ち出したのがアベノミクスです。「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「民間投資を喚起する成長戦略」この三つを三本の矢と称し、安倍政権の経済政策の柱としたのです。このアベノミクスですが、これも今になって語られることなのですが、実は世界標準の政策だということです。アメリカを見てみると解るように、クルーグマンやバーナンキが当然のように行う金融政策なのだということです。なるほど、アメリカがリーマンショックからいち早く立ち直れたのは彼らの正しい金融政策があってのことだったのです。なにしろクルーグマンなどはノーベル経済学賞を取るような人なのですから、当然と言えば当然でしょう。

世紀の愚策

日本に目を向けましょう。デフレから脱却できなかった当時の日銀総裁は白川正明氏でした。彼の金融政策は一言で言えば「何もしない」です。円高になろうが、失業率が上がろうが、お構いなしです。「何もしない」なら誰でも出来ます。円高を放置した結果、円は1ドル80円のレートとなり、日本の国内の製造業は壊滅的な打撃を受けたのです。民主党、野田政権下での出来事です。

日本復活に向けて

その後、安倍政権に移行しました。安倍政権が行った「異次元の金融緩和」は、かなり効果的でした。もしも消費税引き上げとコロナ禍がなければ、今頃、日本はデフレを脱却できていたはずです。彼の行った経済政策は多くの雇用を生み出しました。よく聞く批判に「彼の政策は非正規雇用を助長し、実質賃金を下げた。」というのがあります。これは全く見当違いの意見で、ただ安倍批判をしたいだけの人達が使う理論です。安倍氏の任期中、非正規雇用も増えましたが、正規雇用も同時に増えたのです。また、たとえ非正規雇用であろうが、仕事がないより100倍、マシでしょう。さらに、仮に実質賃金という指標を上げたいのであれば、非正規雇用者のクビを切れば簡単に上がってしまうのです。こんな指標にどれ程の意味があるでしょう。

金融政策とは雇用政策だ

彼の生み出した雇用は実に400万人と言われています。とてつもない数字です。しかし、このような多くのメリットをもたらす金融政策を理解できたのは、国会議員の中でも彼しかいなかったそうです。平成24年に行われた自民党総裁選挙で、もしも対立候補である石破茂氏が当選していたら、こうは行かなかったでしょう。恐らくデフレ脱却にはさらに時間を要していたはずです。日本は未だにデフレからの完全脱却には至っていませんが、しかしもうあと僅かのところまで来ています。日本国民にとって不運だったのはコロナ過があったことでした。しかし、やがてそれも終わるでしょう。あともうすぐです。

安倍元首相の功績を色々挙げようとしましたが、金融政策だけで、結構な分量になってしまいました。続きはまた後程書いてみたいと思います。それでは。

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